ニューヨークで学生をしてたいた頃、思い立って出かけた初めてのバックパック旅行。思うようにいかなかったマンハッタンでの生活が辛く、自分をもっと強くしようと思って選んだインド周辺の国々。髪を短く切って、小さなバック1つと現金700ドル持って1ヶ月ちょっとの旅に出た。
インドは貧しいだけに女性一人での旅、特に初心者の旅にはタフな場所である。もちろんいろんな素晴らしい人に出会い、結婚式に招待されたりと楽しい思いもいっぱいしたが、何とか生きのびたっという表現は過言ではない気がする。少なくとも当時の自分にはそう感じられた。ニューデリーから半騙され状態で2日間かけて辿り着いた今だ紛争中のカシミール地方は、今までで訪れた土地の中でも忘れられない程本当に美しい場所。そしてそこで生活する目が青い人々に出会った時は驚いた。教科書からは学ぶことのなかった複雑な歴史を感じ、早く平和が訪れることを願った。電車を乗り越してしまい、観光客がほとんど通らないマイナーなルートで入ったネパールは、カトマンドゥに着くまで本当に不安だった。やっと辿り着いたカトマンドゥの午後、スクゥエアで女性がチャイを作るのをずっと見守っていた。少し疲れていたせいかもしれない。まだチャイというものが世界に幅広く知られてないこの日、生姜、カルダモン、シナモンで作る未知の味に感動した。ぼーっとしながら一体何杯、飲んだだろう?この日以来、このチャイは私の生活の一部となり、今でも作る度にこの遠い地のこの日を思い出す。
マンハッタンで出会ったデリのお兄さんを頼りにインドから飛び立ったパキスタンは、初めてのイスラム教国。いきなり驚くことばかりだ。ステイしたのはお兄さんのいとこの家の女性専用の部屋。そして最後までこの家に住む男性に会うことはなかった。滞在中は毎日お兄さんの友達の学生達が学校が終わると迎えに来てくれ、彼らと一緒に遊びに出かけた。もちろんこの時間に出歩いている女性は私一人である。さすがに着て行った半ズボンには驚かれ、サリーのような服に着替えさせられたが。海外からの情報に飢えていた学生達は本当に私と話すことを喜んでくれ、毎日観光名所、レストラ、ビーチなどいろんなところを案内してくれ、ラクダにまで乗せてくれた!そして夜になるとそれぞれの家族の家に順番に招待してくれ、その先々では家族どころか親戚一同が勢揃いし、ご馳走とプレゼントを持って歓迎してくれた。こんなちっぽけな私のためにここまで歓迎してくれることに対して、少し申し訳ないと思ってしまった。嬉しさを目一杯表現したが、それでも自分としては物足りない気がした。
最後にちょっと寄ったパキスタンだったが、意外にもここで優しいもてなしを受け、ニューヨークでのタフな生活そして今回の気の抜けない一人旅を通してずっと張りつめてものが一気に緩んでしまったようだ。全く予想もしていないことが起こった。毎日とても親切にしてくれた物静かな滞在先のお母さんが、早朝のフライトに間に合うように朝4時に起きて朝ご飯を作ってくれ、食べ終わると静かに笑顔で見送ってくれる。そしてその瞬間、私の目から大粒の涙が溢れ出てきた。しばらくこんなに人に優しくされたことがなかったし、誰にも頼らないで背伸びして生きてきたから、突然のこの無償の愛が嬉しいというより辛いくらい身にしみた。こんなに泣いたのは人生でこれが初めてだった。パキスタンのこのカラチの地で、思いっきり泣いた。
飛行場では学生達がもうどんなに頑張っても私の姿が見えない所まで手を振って見送ってくれる。私も負けずに感謝の思いを込めて手を振り返す。色々な思い出が一気に頭の中をよぎる。そして同時に不安になる。多分マンハッタンへ帰ることへの。結果この1ヶ月という短い期間に経験した思い出全てが後マンハッタンに帰ってからの生活をたくさん支えてくれた。そして今でも時々思い出す、私の人生で最も大事なこの旅のことを。
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