いつものことながら、旅行中に完成できなかった旅行記が数年そのままになっていました。でもこの度、バルカン半島の料理教室を開催するのを機に、きちんと仕上げることにしました。かなり長いので読む気は起こらないと思いますが(自分の記録のために書いているので大丈夫です(笑))、興味がある方は、写真だけでも見ると、バルカンの雰囲気・魅力が伝わってくると思います。
(旅行記2はこちらから)
August 11
マドリード行きの飛行機の中・・
今日から家族5人の3週間の旅が始まります。父の死や子供の野球、義理の両親の入院などで余裕がなく、バケーションに行こうと考える気になったのはつい先々週のこと。それが何故だか過去最大の3週間、しかも海外というバケーションに膨れ上がってしまいました。
今年も我が家の恒例となりつつあるヨットの旅を計画している内に、せっかくならダルマチア式海岸で知られるヨットの国クロアチへ行こうとなり、そこまで行くならということで、プラス2週間が加わりました。
旅行まであと1週間という先週、地中海周辺でヨットに乗るためには特別のライセンスがいることがわかり、一瞬真っ青になった主人でしたが、数日前に会社を休んでヨットの実地テストを受け、オンラインクラスとテストを出発の今日ギリギリに無事終えることができました。出発前から既に取り乱していますが、とりあえず無事に飛行機に乗りこみ、我が家のバケーションがスタートしました。
今回の旅行は3週間。最初の2週間はバルカン半島(旧ユーゴスラビア)を車で周り、最後の1週間はヨットでクロアチアのダルマチア湾を旅する予定でいます。初日から3日間ドブロブニクで過ごす以外は行き先すら決まっていませんが、ドブロブニクでゆっくり考えたいと思っています。まずはそれまで、しばらく機内で映画でも楽しみます。
August 12
11:30 am
マドリードで飛行機を乗り継ぎ、ドブロブニクに到着する。空港を出ると、すぐそこからもうオレンジの瓦屋根の家が続いた美しい景色が広がっていることに、とても驚いた。Uberに乗ってAirbnbで予約したアパートへ向かう。30分程すると車では狭すぎて通れないからと言われ、宿泊先付近で降ろされ、あとは石畳の階段の続く道を歩いてアパートを探した。無事にアパートを見つけると、オーナーのロマノに迎えられた。小高い丘の上にある2ベッドルームにキッチンがついたアパートは、とても快適そうだった。
4:30 pm
ボストンを発ってからほとんど寝てなかったので、少し昼寝をしてから、歩いてビーチに向かった。途中でフィロ生地のパイ専門店を見つけ、ほうれん草、ポテト、チーズの3種類のパイを買った。これはクロアチアではとてもよくみるスナックだが、実はボズニアの名物料理だということが後からわかった。坂道を下るとリゾートらしい雰囲気のビーチが見えて来た。海岸に着くと、もう日が暮れかかっているので、急いで水に飛び込んだ。透明で綺麗な水は泳ぐにはちょうど良い温度だ。生まれて初めて入るアドリア海の海、そう大げさに考えると、ちょっと感動した。塩分が濃いため体が簡単に浮いて楽しい。長旅からの開放された子供達と一緒に、すっかり辺りが暗くなるまで泳いで遊んだ。
8:30pm
帰り道にアパートの近くにあるレストランに寄って、イカ墨のリゾットとエビのパスタを食べてホテルに戻った。ボストンを出発してからの長旅、やっと寝られる。
August 13
9:30 am
出発ギリギリまで宿を決めてなかったので、3日間のドブロブニク滞在は連泊できず、今日は朝から次のアパートへ移動。10時にチェックアウトし、隣のベーカーリーでパンを買って、Uberで5分先のアパートへ向かう。到着すると部屋の準備までまだあと1時間かかるからと、オーナーが買い出しに一緒に連れて行ってくれた。今回の旅は基本的に自炊なため、オリーブオイル、ビネガー、トマト、チーズ、スナック、プラムなどの食料を買い込んだ。
アパートに戻り、トマトのサラダ、チーズ、クラッカー、プラムを昼食に食べた。日中は暑いのでそのままアパートでゆっくりして、午後2時頃、城壁内の旧市街に出かけた。
2:00 pm
ドブロブニクをゆっくりと目的もなくぶらぶらと歩く。どこを見ても絵葉書に出てくるような美しい景色が広がっている。美しいだけでなく、古くて歴史を感じる重々しい建物でいっぱいである。街全体がユネスコサイトとしてミュージアムのように保たれているため、車乗り入れも禁止で歩きやすく快適に歩き回ることができる。でもずっと歩いていると飽きてくるのも事実だった。観光客で賑わってはいるが、本来いるべき地元の人々の暮らしに欠けたこの街は、そういった意味の活気がなく、当然地元の人たちがいくようなレストランなどもなかった。その点に関し少しがっかりだった。
6:00 pm
やっと涼しくなってきたので、城壁の上を歩いた。いろんな角度からこの街を見下ろせて、理想の散歩コースである。立ち止まってはその美しさに感動しながらゆっくり歩いたら、1時間くらいかかった。
9:00pm
城壁の上を歩いた後一度アパートに戻って休憩すると、また防波堤で行われるギターの弾き語りライブを聞きに戻って来た。涼しい夜風に吹かれ、音楽が思いのほか素晴らしく、そしてなんと空には流れ星がたくさん流れている。こんなパーフェクトな夜はそうそう無い。アドリア海の波音を聞きながら、今ここにこうしていられることに感謝する。
11:00 pm
スーパーに寄って子供達のアイスクリームと大人用のビールを買ってホテルに戻る。フレーバーがついたほんのり甘いビールが珍しかったので、レモン、ピーチ、エルダーフラワーなど色んな種類を買い込んだ。シャワーを浴びてクーラーのきいた涼しい部屋で、ビールをグラスに注ぐ。長い1日の終わりに乾杯。
August 14
10:30am
トマトとパプリカのオムレツ、ヨーグルトドリンクの朝食を終えると、バスでファーマーズマーケットに向かう。今日は買い出しの日だ。旅先では必ず訪れるファーマーズマーケットだが、ガイドブックにも情報が少なく期待しないでバスから降りると、たくさんの地元の人で賑わっていた。そしてなんとその周辺には、賑わっているカフェやレストランがたくさんあるではないか!ついに昨日城壁内には見つからなかった活気溢れるエリアを見つけたようで、嬉しくなった。
このマーケットはもともと魚市場だったらしく、イワシ、鯖、カジキ、バス、タコ、エビ、イカの他にも、見たことのない魚がいっぱい並んでいる。もっと早くここを見つけておけばよかった。今晩しか夕飯を作るチャンスがないのに、食べたい魚だらけだ。結局タコとグリルに良いと勧められた小さな魚を買った。野菜はトマトとスイスチャードにキュウリを。大満足で近くにある地元客で賑わうカフェで、エスプレッソ休憩。休憩後はマーケットの周辺をゆっくり散歩し、近くにあった肉屋でプロシュットと、ベーカリーでバゲット、スーパーでチーズを買ってアパートへ戻った。
1:00 pm
アパートに戻り、プロシュットとチーズ、トマトのサンドイッチにさくらんぼジュースをランチに食べ、少し昼寝をしてからビーチへ向かう。昨日とはまた違った急な岩場を降りたとこにある可愛らしいビーチで、涼しくなる夕方までのんびりと過ごした。大好物のいちじくの木が至る所にあり、子供達がたくさん取って来てくれた。旅の生活にも慣れ、家族全員がリラックスしてきているのを感じ、嬉しかった。
6:00 pm
日も暮れかけ涼しくなったので、海を離れて、散歩がてら今朝ファーマーズマーケットがあった地域へ向かってのんびりと歩いた。活気のあるこの辺りは私にとって旧市街よりもずっと楽しかった。フットソルの試合を金網越しに見学したり、大型スーパーに立ち寄ったり、ブリューワリーで一杯飲んだり、大好きな時間の過ごし方。
8:00pm
部屋に戻ると、今朝茹でておいたタコのサラダ、チャードのソテー、ガーリックのパスタに地元のワインを添えたファームトゥテーブル的な豪華な夕飯を美味しくいただいた。昨日とはうって変わってローカルな1日を振り返りながら、満足気分で残りのワインを飲み干した。
August 15
9:00am
今日は国境を超えた移動日。クロアチアからモンテネグロを通過し、一気にアルバニアまで行ってしまう予定である。主人がレンタカーを取りに出かけている間に、使ってしまいたい冷蔵庫に残った食材を使って朝食を準備する。主人が戻る頃には、トマトとキュウリのサラダ、目玉焼きとプロシュート、イチジク、ヨーグルトドリンクに近所のベーカリーで買ったパンと、なかなか豪華な朝ごはんが出来上がった。
10:00am
食後のコーヒーを飲み終えると、車に荷物を詰め込み、出発!
しばらく車を走らせ丘の上まで来ると、ドブロブニクの旧市街が見渡せる。魔女の宅急便の舞台になった言うこの街、本当におとぎ話に出て来そうなくらい可愛らしい。夢のようなこの景色をしばらく眺め、また車を走らせた。
この後も道はアドリア海の断崖絶壁上にあるため、思わず息を飲んでしまう景色が次々に続く。1時間くらい走っただろうか、モンテネグロとの国境に到着した。アメリカからカナダに行く感じのカジュアルな国境越えだったが、アドリア海沿いはリゾートが多く混雑していて、予定より大幅に時間がかかってしまった。
2:00 pm
でもなんとか国境を超え、モンテネグロに入国する。クロアチアのクーナからユーロに変わったため、銀行でお金もおろし、途中スーパーによって車の中で簡単に食べれる食料をランチ用に買い込んだ。スーパーに入ると、クロアチアとは全然雰囲気が違う。距離的には近いのに人々の笑顔が少なく、少し東ヨーロッパ的な香りがした。国境を超えるだけで、ここまで雰囲気が変わるのには少し驚いた。
カーフェリーの上で少し休憩したら、またドライブ開始。しばらくすると海岸沿いの道が内陸部に移り、次第に山の中へ入っていく。山といっても森林ではなく岩山で、近くの岩山がギリギリまで迫っていて、迫力ある景色が広がる。そしてさらに進むとありがちだが、2車線のハイウェーが突然一本道になり、狭い道なのに対向車はかなり飛ばしてきて、不安になる。民家の間を抜け、本当にここが主要道路なのかと呟いていると、突然道端で売られている果物を見つけ、迷わず車を止める。美味しそうだったイチジクとブドウ、そして乾燥イチジクとクルミの蜂蜜漬けを買った。ブドウは紫色のとシャンペーングリーンの小さいのを買ったが、とても甘くて美味しい。さっきまでの不安な気持ちを忘れ一瞬幸せだったが、車に戻るとまた不安な気持ちでドライブを始めた。
6:00 pm
かなりストレスを感じる道だったが、やがてまた二車線になり、やっとまた主要道路らしくなった。そんなこんなでどうにか夕暮れ時にアルバニアに無事入国することができた。アルバニアに入ると主要道路は消えてしまい、一本道になる。そしてその道では、子供たちが走り回り、人々が立ち話しをし、農具を担いだ畑仕事を終えた人々や牛飼いが通り過ぎていく。そんな活気付いた風景が目の前に広がった。モンテネグロから想像もできない変化だった。この様子を見ただけで、この国がまだ貧しいことが感じられる。先進国には見られない人々の交流。久しぶりに見た懐かしい光景に、少し心が温かくなる。
9:00pm
そんなこんなで結局10時間かかって、ベラットにある今日の宿泊予定地に到着する。今回の滞在は旧市街郊外にある個人宅の一室。とてもフレンドリーな家族に迎えられ、ログハウスのような素敵な部屋に案内される。ゆっくりしたかったが、お腹が空いていたので、折り返し旧市街の方へ車を走らせた。もう10時を回っていたので、カジュアルなレストランで簡単に食事をすませると、速攻宿に戻ってベッドに潜り込んだ。
August 16
9:00am
今回のお宿は朝食付き。朝目を覚まし案内された通り屋上のテラスに行くと、可愛らしい朝食がセットされていた。オーナーの娘エラの説明によると、朝食は全てガーデンから採れたものか手作りだと言う。パンだけでなく、バターからチーズまで彼女のおばあさんの手作りだった。どれも素材の味がしっかりして、とても美味しく、この朝食だけでもここに来た甲斐があったと思えた。
ここは家族経営といっても英語を喋るのは大学生のエラだけなので、部屋は彼女の夏休み中しか貸し出していない。1人で一生懸命頑張って切り盛りしている彼女を応援している内に、料理の話で盛り上がって仲良くなると、食後に庭を案内してくれた。庭には羊や鶏、山羊などが自由に走り回り、オリーブ、レモン、オレンジ、梨、ざくろ、イチジク、いちご、ぶどうなどの果物の木や、ヘーゼルナッツ、栗やウォールナッツなどのナッツの木、それにありとあらゆる野菜まで、自給自足できそうなくらい全てが揃っていた。
庭のぶどうから作るお酒ラキの話をしていたら、エラのおじいさんが通りかかり、奥から自家製ラキを持ってきてくれた。と言うわけで、午前から結構度数の強いラキを頂く。かなりきついが、ほんのり甘くてウォッカなどと比べると飲みやすい。飲み終わると、今度はイチジク好きの私のために、袋いっぱい取って手渡してくれる。この辺りの果物特にイチジクは本当に美味しく、何個でもたべれてしまう。言葉が通じないけれど、一生懸命何かをしてくれる行為から気持ちが十分以上に伝わってきた。しばらくすると今度はエラのお兄さんがヘーゼルナッツをいっぱい持ってきて、一つずつ割っては子供達に食べさせてくれる。子供達も大喜びで、真似して割っている。こんな感じで次々と起こる夢のような貴重なおもてなしを受けていたら、もうお昼近くなっていた。と言うわけで、ここを出発したのはお昼過ぎだった。
12:30 pm
車で街の中心部に着くと、いきなりスコールのような豪雨が降ってきた。どうしても止みそうにないので、レストランでお昼にすることにした。この国はまだまだ貧しく物価が低いので、ちょっと高級なレストランで食事をした。ピーマンの肉詰めから、フレッシュチーズのグリル、ヨーグルトマリネのグリルラム、緑葉野菜のパイ、野菜のキャセロールそして地元のワインまで、地元名物の料理をたっぷり満喫した。レストランを出る頃には、曇ってはいたが雨はすっかり上がっていた。
3:00 pm
予定より随分遅くなってしまったが、やっと街を歩き始めた。そうそもそもここに来た理由は、オスマントルコ時代の面影を残す世界遺産の町、ここベラットの旧市街を訪れることだった。採光のために斜面に窓が並んだ町並みが並ぶため「千の窓をもつ町」として知られている。町を見ることが目的なので、迷路のような入り組んだ急な石畳を、ただただ歩いた。古い石壁の家を見ながら歴史的なこの街を歩くことが、何よりも貴重な経験だと思えた。飽きることなくしばらく夢中で歩く。
十分に満喫したところで、頂上にある城跡へ向かった。20分ほど坂を上がると城壁の入り口がある。入場料を払って中に入ると、なんとその中にも小さな町があっ た。そして一般の人々も、ここで暮らしていた。城の内側と外側では家の感じが違い、ここはここで素朴な感じが素敵だった。頭が空っぽになるまで歩いていると、自分がどこにいるのかさえ忘れてしまう瞬間があった。風が気持ちよく涼しかった。
6:30 pm
後悔ないくらいのんびりした後は元来た道を戻り、今度は地元っ子で賑わう公園沿いのオープンカフェに座り、ビールを飲みながら行き交う人を鑑賞した。これも旅先での楽しみの1つ。人々を眺めながら、いろんなことを想像するだけで楽しかった。たくさんの人たちが楽しそうに、行き交う。
7:00 pm
お腹が空いたので、メインストリートの賑わっているレストランを見つけて入った。昼と同じようなメニューだったが重ならないように、ナスの肉詰め、ピーマンのご飯詰、ミートボールのキャセロール、そしてパスタを頼んだ。それにしてもこの国の人は、野菜に何かを詰めた料理をとても上手に作る。是非ボストンに戻ったら、再現してみたい料理の1つだ。
10:00pm
宿に戻るとエラが待っててくれ、エクレアをくれた。そして料理に興味がある私のために、おばあさんが作ったと言うピーマンのご飯詰を残しておいてくれていた。美味しい美味しいと喜ぶと、今度はおばあさんが作ったオレンジをマーマレード風煮も出てくる。楽しくワイワイやってると、エラのお父さんもやって来る。いつまでも絶えない笑い声。明日の別れが辛いな、きっと。
August 17
9:00am
今日の朝食も手作りのご馳走。ジャムは昨晩のリクエスト通り、ちゃんとイチジク。覚えててくれてた・・。ほんのりキャラメライズしてあって、とても美味しい。涼しい風が通り抜ける屋上、遠くに昨日登ったベラット城が見える。ホストのエラや家族と仲良しになれたのに、今日はもう出発の日。
食事を終えると荷物を詰め、エラ、エラのお兄さんとお父さん、お手伝いのいとこに見送られ、出発した。インスタだけは交換し、お隣の国マケドニアのオフリドへ向かう。
またドライブが始まる。ナビによると目的地まで約3時間。国境越えの時間を入れたら、4、5時間かな・・。でもきっと寄り道するからな・・なんてことを考えていると、窓の外に賑わっている市場が見える。主人も慣れたもので、何も言わずとも車を止めてくれた。車から飛び降りて、マーケットへ急ぐ。観光客など来たことのないこの田舎のマーケットでは、かなり周りの視線を感じた。興味津々のようで色々と話しかけてくれ、言葉無しの交流を楽しんだ。新鮮な野菜や果物がいっぱいあったから、トマト、キュウリ、ネクタリンをおやつに買う。やっぱり楽しいな、マーケット。
さあまたドライブ開始。どれくらい走ったのかうとうとしてたら、いつの間にか遠くに見えた山が近くに迫っていた。そして山頂で国境を超えた。ここから目的地までは30分。しばらく行くと透き通るように綺麗な湖と、その辺りに佇む街が見えて来る。美しすぎる景色にため息が出てしまう。あの有名なオフリド湖。
2:00 pm
住宅街にやっと滞在予定のアパートを見つけると、若い夫婦に迎えられた。アパートにした彼らの自宅の2階に上がると、ミントティーと手作りのワイルドチェリージュースで歓迎してくれ、少しひんやりした体が温まる。それにしても4ー5時間走っただけなのに内陸部に入ると、一気に東欧やロシアの色が強くなったのを感じた。うまく説明できないが、馴染みのあるヨーロッパを離れ、未知のヨーロッパにいる気がした。質素でどこか社会主義の気質が感じられた。
少し休憩すると旧市街へ向かった。丘の上にある城壁の入り口から入ると、街と湖が綺麗に見渡せた。のんびりと石畳の路地に入り込みながら、湖に向かってのんびり歩く。湖畔まで来るとたくさんの観光客と夏の夕涼みを楽しむ地元の人達で溢れかえっていた。
行き交う人達は白人なのだが、自分の知っているどのカテゴリーに入らない馴染みのない顔だった。白人の主人でさえ、ここにいると異国人に見えた。もちろんアジア人なんていない。でもだからと言ってこちらを気にしている様子もなく、逆にそれに驚いた。なんだか自分たちの存在自体が夢のように感じられてきた。不思議な感覚である。
7:00 pm
しばらく歩いて目が慣れてくると、今度はレストランに目が移る。メニューを見ているとケバブが多く、デザートもバクラバなどフィロ生地を使ったものが圧倒的で、トルコの影響が大きいことを感じる。グリルの良い香りにそそられ、私たちもケバブを食べることにした。テーブルに着くと、いろんな種類のケバブと湖で捕れた魚のグリル、それから白豆のキャセロールと、ローストペパーのディップをオーダーした。家庭では真似できない炭焼きケバブが美味しすぎた。デザートはもちろんバクラバとカダイフ。ローズウォーターの香りがほんのりとして、自分がどこの国にいるのか一瞬わからなくなってしまったのも、当然かもしれない。全く想像していない料理だった。
食後は地元の人たちで賑わう湖沿いでのんびりした。食後に家族で湖まで夕涼みに来る風景を見てると、懐かしい気分になった。日本やアメリカではほとんど見られなくなってしまった、まだまだ人々が外で交流する昔懐かしい風景。自分の遠い記憶を旅行先で見つけられることは、旅の良さの1つである。地元のステージを見たり、湖の周辺を歩いたり、旅行先で家族の時間を楽しんだ。
10:00pm
辺りも暗くなり始めたので、アパートに戻る。家の前の小さな庭では近所の人たちが、遅くまでラキを飲みながら、楽しそうにおしゃべりしている。そんな和やかな雰囲気につられて、寝る前に子供達としばらくトランプをして遊んだ。
子供達が寝ると、まで決まってない明日からの行き先を主人と考える。アルバニアに戻って、山奥の農村巡りをしたかったのだが、山道は舗装されていなくそこに行くには時間がかかりすぎるということで諦め、アルバニアの首都ティラナを経由して、モンテネグロのコトルに行くことに落ち着いた。無事に目的地が決まると、安心してベッドに入った。
August 18
10:00 am
アパートを後に、湖沿いを少しドライブした。ビーチの横にあるレストランを見つけ、そこで朝食をとる。トマトとピーマンのオムレツに、ピーマンの上にクリームをかけて焼いたキャセロール。シンプルだが、なんとまた美味しい事か。でもこれは素材の美味しさだから、残念ながら再現できないのはわかっている。
食後は横の湖で遊ぶ子供達を眺めながら、ゆっくりカプチーノを飲んで、また始まるドライブ前の平和な時間を満喫した。
車に乗り込み少し行くと、川が勢いよく湖に流れこむところで、若い男の子達が、飛び込んでは流されと何度も繰り返して楽しんでいる。本当に楽しそうで、こちらも思わず微笑んでしまう。これもまた、日本やアメリカでは、最近見られなくなった光景の1つだなぁ。
1:00 pm
のんびりとした朝を過ごしたが、いよいよモンテネグロに向けて出発する。アルバニアを通過しなければいけないので、2度も国境を越える必要がある。時間の加減を心配してたが、土曜日だからか国境ごえはいつもよりスムーズにすんだ。
アルバニアに入ると眠たくなった主人のために、途中の山道でコーヒー休憩。見晴らしの良いところにカフェがある感じが、日本のようだ。うまく説明できないが、ここにはまたパリやイタリアとはまた違う、独自のカフェカルチャーがあった。
4:00pm
アルバニアの首都ティラナに立ち寄る。時間がないので、さっと観光すると、またドライブを続けた。
8:00 pm
山間のカーブが続く細い道を日がくれるまでになんとか無事に通りぬけ、海岸線の道にやっと出て少し安心する。ここからはもう一度通ったことのある見慣れた道。途中で夕飯を食べ、コトルの宿泊先にについたのは夜11時に近かった。
August 19
10:00 am
昨日の疲れもあって、朝起きたらもう10時を回っていた。飛び起きると、近くのベーカリーでパンを色々買い込んで、久しぶりに朝ごはんを作った。きゅうりとトマトのサラダ、目玉焼き、スイカ、オレンジジュース、ヨーグルト、コーヒー。なかなか豪華だ。
1:00 pm
のんびりと朝を過ごすと、今日最初の目的地、生ハムで有名な山頂の村(Njeguši)へ向かった。写真からもわかるように山は勾配が急で、道が狭いところは少しハラハラする。でもだから、見晴らしは最高だった。1時間程して、頂上に到着する。
この村はプロシュートのような生ハム(Njeguški pršut)が有名で、道の両脇に生ハム屋が並んでいる。と言っても店ではなく個人宅の前に看板が出ているだけで、興味があると自宅の地下にあるハムの貯蔵庫へ案内してくれる。私達も気の良さそうなお婆さんが立っている家を選び、中へ案内してもらった。吊るされているハムに圧倒されている間に、試食用のハムをスライスしてくれた。食べてみると、なんと驚くほど美味しい!獲れたての魚同様、臭みがなくコクがあるのにさっぱりしていて、店で買うものとは比べものにならない。日持ちするということなので、このハムと一緒に試食させてくれた手作りチーズをたくさん買い込んだ。せっかくここまで来たので、しばらく村を散歩し、小腹が空いたので、数件しかないレストランの1つに入り、ビールとサンドイッチをオーダーした。サンドイッチはもちろん、ここの名産のハムとチーズ。最高の贅沢ですね。
4:00 pm
山から降りて来ると少し涼しくなっていたので、近くの海へ泳ぎに行く。子供達はネットで魚をとったり、水の中にジャンプしたりと楽しんでいる。私はというと、すぐそこまで迫ってくる山々に囲まれた海と子供たちを眺め、今まで見たことのないこの自然が作り出す美しさに感動していた。
7:00 pm
泳ぎ終わると、いよいよコタルの城壁街へ向かう。すっかり日が暮れかけている街をゆっくり歩いた。ドブロヴニクに似ているけど、まだ実際に人々が暮らしているところが違い、生活感が溢れ活気があるところが気に入った。石畳の通りが迷路のように続いて、本当におとぎ話に出て来るようで、ただただ歩いているだけで満足だった。街自体が生きているミュージアムと言えるコタルの街、想像以上に良かった。
夕飯は、城壁内にある高価なレストランを避け、車から見て気になっていた城壁外のBBQレストラン Tanjga へ向かう。ここの人気商品はハンバーガーとその上に乗せてくれる豊富なサラダや野菜のスプレッド。バルカン半島はどこに行ってもいろんな種類の肉のグリルがとても美味しく、そしてとても人気がある。店内に入ると行列ができていたが、回転が早く意外とすぐにご飯にありつけた。想像通り肉とサラダとスプレッドのコンビが最高に美味しく、絶対に再現したい味なので、記憶に残るようによく噛み締めて食べた。
10:00 pm
再度城壁内に戻ると、観光客が帰った後の街は静かで、また趣があった。ライブギターの演奏を聞きながら、オープンカフェでのんびりする。ガリバー旅行記を思わせるようなディスプレーが街中にあったが、確かにそんな物語の中にいるような気分にさせてくれるような街だった。夫婦でワインを飲んでいる間、子供達は3人で街を探検している。本当に「探検」という言葉がぴったりの街だと思う。街を後に停泊しているヨットをゆっくり見て、アパートへ戻った。主人がいつもそうする。長い1日だった。
August 20
9:00 am
ちょっと駆け足だが、今日はボスニア・ヘルツェゴビナへ国境越え。近所のベーカリーでパンとコーヒーの簡単な朝食を済ませ、車に乗り込む。
途中湾岸沿いにひっそりと佇む町ペラストに立ち寄った。ここは、町の沖に浮かぶ修道院が建つ「スベティ・ジョルジェ」と、「岩礁のマリア教会」と呼ばれる教会が建つ2つの島で知られている。フェリーに乗って実際に島まで行くことができるが、町から見る景色で十分だったので、私はのんびり町を歩き、子供と主人は海で泳いだ。ギリギリまで迫って来る山々と海に囲まれたこの小さな町にいると、心が洗われてくるようだった。静かだったからかどこか神秘的で、本当に気に入ってしまった。観光客がいっぱい歩いていたら、きっと同じ気持ちにはなれなかったと思うから、いつかまた訪れる日まで変わらずこのままでいて欲しいと思った。
1:00 pm
非現実的な朝を過ごすと、また急勾配の山を登りボズニアへと向かう。もうすぐ国境というところでカフェを見つけ、モンテネグロ最後のカフェタイムをエンジョイする。もちろんこの時は、行く手を阻む国境越えの渋滞など知りもせず・・。結果この国境を越えは、なんと2時間も渋滞の中で待つこととなったのだった。
4:00 pm
やっとのことで国境を越えると、もう日が暮れ始めていた。ここから首都のサラエボまでまだまだ距離がある。見知らぬ土地の夜の運転はどうにか避けたいというのに、この始末。それでも少し冷静になって辺りを見回すと、モンテネグロとは全く違う田舎の景色が広がっていて、少し解放された気持ちになった。道を歩く羊飼いの子供達や道の舗装の仕方などから、国が裕福でにことが伝わってくる。今から向かうサラエボ、戦争のイメージが大きいが、一体どんな街なんだろう?と、突然知りたい気持ちが高まってきた。そんなことを色々考えている間も車は走り続け、運転が難しいかなり険しいエリアをいくつか通過しながらも、完全闇夜になる前に、無事サラエボに到着することができた。奇跡だった。
8:00 pm
無事にアパートに到着すると、オーナーが駐車場までエスコートしてくれた。やはり都会はどこも同じで、駐車場は貴重な存在だった。アパートのある建物は、外観や階段など、古くて質素で薄暗くて社会主義的な雰囲気でいっぱいで、階段を上がりながら不安と後悔の気持ちでいっぱいになった。でもアパートの中は、とてもモダンで綺麗だったので、とりあえずそのネガティブな思いからは解放された。お腹が空いていたので落ち着く間もなく、アパート周辺の治安もわからないまま、夕飯を食べに外に出た。橋を渡りしばらく行くとアメリカ系のホテルや日本の大使館などがあり、とりあえず安心する。旧市街の中心に入ると、まだ歩いている観光客がいた。やはりここもケバブのような炭火焼グリル肉が人気で、ピタパンにオニオンとケバブを挟んだチェヴァプチチを夕飯に食べた。そしてしばらく歩いた。一番驚いたことは、街を歩く人達にイスラム教徒がとても多かったこと。街の雰囲気や食文化を見ていると、想像以上にイスラムの影響を受けている気がした。旧市街(バシュチャルシャ)のカフェでは、水タバコを楽しむ人たちで賑わっていた。
August 21
9:00 am
朝起きると近所のベーカリーでパンを、スーパーで果物や野菜を買って、コタルで買った生ハムと共に簡単な朝食を作った。遠く離れたこの地で食べる生ハムは、より一層美味しく感じられた。
11:00 am
朝食を終え外に出ると、当たり前だが、昨日の夜とは打って変わってもっと明るい街に見えた。さて今日の予定はサラエボの市内観光。まず最初は、ちょっと迷ったが、Museum Of Crimes Against Humanity And Genocide(虐殺ミュージアム)へ行ってみることにした。実際に行ってみて、どこまでどう子供達が感じたのかはよくわからなかったが、少なくとも私達夫婦には、最近のことだけにより生々しく感じられた。国連が何もしてくれなかったという思いがかなり強かったのか、至る所で「United Nation」が「United Nothing」と書き換えられていたのが目に付き印象的だった。歴史が複雑過ぎて何が起こっていたのか理解できないでいたが、実際にここに来て理解が深まった気がする、ほんの少しだが。
引き続き観光を続ける。多民族・多宗教が共存しいるからか、サラエボは想像以上に面白かった。特に印象的だったのは、道路上に引かれた線と共に書かれた「SARAJEAVO MEETING OF CULTURES」というサイン。この線は、サラエボの文化の境界線で、ここから東側はオスマン帝国時代の面影が残る街並み、言わばアジアが広がり、西側はオーストリア=ハンガリー帝国時代を色濃く残したヨーロッパの街並みが広がっている。この線の上に立って東西を見比べると、本当にその違いがよくわかる。一次世界大戦の発端となった街であり、かつてアジアとヨーロッパが出会った街であることからも、歴史的にとても重要な街であったことがよく実感できた。
5:00 pm
夕飯はこの地域の名物野菜の肉詰めを食べた。日本にはロールキャベツとピーマンの肉詰めはあるが、ここではズッキーニ、玉ねぎ、茄子、トマトなどありとあらゆる野菜に具を詰めて食べる。ほんのりトマトの味がするソースと共にじっくり煮込んだ野菜は、口の中でとろける柔らかさ。味がしみてとっても美味しかった。
8:00 pm
帰り際静かなアパートの通りに賑やかな声が聞こえてくるので、歩いて行ってみると、なんとサラエボ・ビュリューワリー(Sarajevo Brewery)があるではないか。そして中に入ると大きなビアホールがあり、たくさんの人で賑わっている。まさかこんなパーフェクトな場所がアパートのすぐ迎えにあったなんて、昨日は全く想像もできなかった。早速居心地良い席を見つけて座ると、地ビールと前菜をオーダーして、クロアチから始まり今日で12日目を迎える我が家のアドベンチャーに、乾杯した。
August 22
9:00 am
今日はボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルへの移動日。移動時間はそんなに必要ないので、途中サラエボの郊外にあるサラエボ・トンネル・ミュージアムに立ち寄った。ここは戦争中のサラエボ包囲の際、密かに物資や病人を運ぶために作られたトンネルで、現在その一部がミュージアムとして解放されている。希望のトンネルとも呼ばれた。「希望」と言う言葉の意味を、初めて深く考えさせられた。
1:30 pm
モスタルへ無事到着する。滞在先は、旧市街のすぐ外にあるアパートで、オーナーと待ち合わせし、スムーズにチェックインを終えることができた。外観はコンクリートのシンプルな建物だったが、中はとてもモダンで素敵だった。しばらくこの心地良いアパートでゆっくりすると、いよいよ旧市街へ探索に出かけることにした。
元気よく外に出ると、アパートの建物に砲弾の跡を見つけ、一瞬身が引き締まる思いがした。ミュージアムで見るとはまた違って、リアルだった。1990年代、今自分が立っているこの場所でも戦争が起こっていたと言う事実、改めて実感した・・傷跡を今に残すモスタルで。
古い歴史を持つモスタルの旧市街は、山間のネレトヴァ川沿いにまたがっているためか、どの角度から見ても本当に美しいと感じる。川を挟んで民族が分かれて暮らしてきたため、今でも川を渡ると雰囲気が変わるのを実感できる。こうした理由からも、この両岸を結ぶ橋「スタリ・モスト」は、この町にとって深い意味あるもので、戦時中に一度破壊されたが復元され、現在も象徴的な存在として人々に親しまれている。
3:30 pm
しばらく歩くと、川を見下ろせるレストランを見つけたので、テラスに座って遅い昼食をとることにした。この国は物価が安いから、レストランに入って豪華に食べられるのが嬉しい。今が旬のマッシュルームをオーダーすると、さっとソテーしてあるだけなのに本当に美味しかった。明日またクロアチアに戻ったら物価が上がってしまうので、今日はしっかりとワインからコーヒー、デザートまでフルコースの食事を楽しんだ。
いろんな文化が混ざり合っているこの町は、小さいのに1日中歩いても飽きることなく、とても楽しかった。夕方になって日帰りの観光客が帰ると、町が静かになり、また違った町の趣があった。ライトアップされた教会を見つめていると、モスクから聞こえてくる礼拝の呼び掛けが聞こえる。平和になったばかりのこの町で、いつまでもこの平和が続くよう願う。
August 23
9:00 am
昨日1日歩いて勝手に自分で決めたモルタルの旬の特産品は、マッシュルームとクルミに蜂蜜。と言うわけで、今日は朝から、昨日購入した緑色の蜂蜜とクルミをたっぷりのせたトーストで、幸せな朝を迎えた。朝のコーヒーは、もちろんトルコ式。もうすっかり板についてきた。アメリカに戻ってからも、こんなヘルシーな朝を迎えたいなっと、一瞬ふと現実に戻る。多分2週間の旅も終わりに近づいているからだろう。朝食を終えるとモスタルを後に、クロアチへ向けて出発する。そう、今日はいよいよクロアチアへ戻る日だった。と言うことは、あと2日でヨットの旅が始まる・・・。
しばらく渓谷沿いの綺麗な道が続く。この辺りは気候が良く果物がとても豊富で、道路脇の至るところで直売している。特によく見るのはイチジクとぶどう、あとはドライフルーツにナッツ、他にはハチミツやフルーツシロップなどで、何箇所かで車を止めて色々買い込んだ。そしてクロアチアに入る直前のカフェで、最後のボスニア風コーヒーを飲んだ。苦くて美味しく、もう既に懐かしくなりつつある味だった。
1:00 pm
さてなかなか決まらなかった今日の滞在先だが、迷った結果ヨットのマリーナに向かう途中のペリェシャツ半島(Pelješac peninsula)で過ごすことにした。滞在施設が限られている半島、やっとのことでPutnikovic と言う小さな町にアパートを見つけることができた。国境を越えてクロアチアに入ると、馴染みのある西ヨーロッパ風の街並みが広がり、懐かしく感じられた。この辺りはドゥブロブニクからそんなに遠いわけでは無いのに、驚くことにとても田舎で、こんなに美しい海があるのに町も小さく、良い意味で何もなかった。
予約したアパートは海の横にある一軒家。中に入ると、テーブルの上にはぶどうとワインが置いてある。そう、このあたりはワインの産地で、至るところにぶどうがなっていた。青い海に入り組んだ入江、ぶどう畑、石畳の道と、どこを見ても絵になる風景が広がっている。アパートに荷物を置くと、早くドライブしたい気持ちを抑え、まずは子供達を海で遊ばせた。久しぶりに海で遊ぶ子供達は、とても楽しそうだった。なんせプライベートビーチと言うことで、子供達もかなりはしゃいでいた。確かにわかる・・。
3:00 pm
さて、ようやく周辺の探検に出かける時間が、やってきた。海岸沿いに車を走らせ、可愛らしい町を見るたびに立ち止まってはのんびり歩いた。特にカフェさえない町ばかりだったが、だからなおさら良かった。
途中ぶどうを車から積み降ろしている夫婦を見かけ話しかけると、自宅に招待してくれ、自家製ワインをご馳走してくれた。このあたりはワインの産地なのだが、小規模もしくは家庭用に作っている程度なので、市販ではなかなか手に入らない。ワインを飲みながら夫婦と楽しくおしゃべりしていると、シンプルな生活を楽しむ二人の様子が伝わってきた。自分にはできないけど、羨ましく思えた。別れ間際に自家製ワインを売ってもらい、後の良い思い出となった。値段は、たったの300円程度だった。
8:00 pm
今夜の夕飯は主役のワインとぶどうに、チャードとマッシュルームのパスターを添えた。そう、主役はワインだった。子供達には、採れたてのぶどうでジュースを作ってあげた。他に波の音しかしない静かな海辺の家で、ファームトゥテーブルな夕飯を夜更けまで楽しんだ。
August 24
8:30 am
今日は日が暮れるまでにマリーナにつけば良いので、朝食後に海で遊んだ後、昨日とは逆側の半島をドライブした。そしてフェリーの出る港へ向かった。行きは車で来たが、帰りは目的地の方へ向かうフェリーを利用した。時間的には同じくらいだったが、これはこれでのんびりできて良かった。
2:00 pm
船から降りると、明日から始まるヨット旅行の出発地点トロギル(Trogir)に向けてドライブを開始した。第一次の旅が終わり、第二の旅が始まろうとしている今、また少しずつワクワクした気持ちが込み上げてきていた。(続きは旅行記2で)
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