2016年1月、主人の勤務するハーバード大学の関係で、メキシコシティから2時間程のところにあるプエブラ州の某大学に招待され、1週間程ですが1995年以来21年ぶりでメキシコを訪れるチャンスが巡ってきました。
招待してくれたこの大学の人達とはボストンでかなり親しくなり度々交流していたのですが、この期間中に私のメキシコ料理の知識を大いに評価してくれ、今回の主人の出張期間中に合わせて大学の学部であるカリナリースクール(料理教養学部)で料理を習わせてくれるという話に膨れ上がったのでした。
主人との初めての海外旅行(1995年)がメキシコということで思い出でもあるこの地に、新年早々義理の両親に子供たちを預けて行ってきました。これはその簡単な旅行記です。
プエブラにて(1月10日ー14日)
プエブラでの滞在中の毎日はこうでした。毎朝大学のドライバーが朝10時にホテルまで迎えに来てくれ、大学へ向かいます。ここから主人は仕事、私はお料理の勉強を開始。2時から4時までは大学側の方たちとメキシコでは1日の主になるフルコースのランチ食べ、その後はプライベートドライバーと一緒に市内観光。そしてホテルに戻ってちょっとだけ休憩したら、夜7時には毎晩大学側の誰かかれかのゴージャスな自宅に招待され、私たちを囲むパーティー。1日中自分達が主役なので、ホテルに戻ると迷わずベッドに直行の毎日でしたが、私達のいつもの旅行とは全く違った新しい出会いと経験の多い贅沢な4日間でした。
私のお料理
ラテンアメリカの国々の中でもスペイン料理とそれ以前のネーティブの料理がうまく交わったメキシコ料理は、その素材や料理法がとても興味深く昔から興味を持っていました。そして今回大学に招待されたことで、カリナリースクールの教授にあらゆる現地の食材を紹介してもらったり、食専門の人類考古学者の教授に地元の市場を案内してもらったり、カリナリースクールが経営するレストランのシェフに直接料理を教えてもらったりっといつも食べているアメリカナイズされたメキシコ料理ではなく本場のメキシコ料理に触れることができたような気がします。
一番強く感じたことは、現地では料理はいたってシンプルなことです。いつもそうですが、アメリカに来ることで料理が大げさに表現されてしまいがちですが、実際は素材の美味しさを大切にしたデリケートな料理なんだなっと一言で言えば簡単な言葉ですが私の中ではとても大きな発見をしました。今はメキシコで得た知識が頭の中で炸裂している状態ですが、忘れてしまわない内にこの内容を早く整理したいなっと思っています。
メキシコシティにて(1月15日ー17日)
プエブラを後に最後の2日間だけメキシコシティで主人とゆっくりした時間を過ごしました。プエブラでご馳走はたっぷり食べていたので、ここでは私の大好きなストリートフードにフォーカスをおいて、ただ歩き回って気の向くままに食べたいものを食べました。
余談ですが、21年前の1995年に主人とメキシコシティを訪れた際に何気なく入った思い出のカフェがあります。本当に何気なく入ったのにこの21年間何度もここで飲んだカフェオレを思い出して飲みたくなるのです。今回やはりどうしても気になって、当時の記憶をたどり何時間も心当たりの地域を歩いてみることにしました。そして半ば諦めていた頃になんと見つけたんです、そのカフェを!始めは半信半疑でしたが、昔の写真を掘り起こしてきたら全く同じでした。その日はもう夜遅かったので次の日朝一で駆けつけ、思い出のカフェオレをオーダーしました。まずは濃いコーヒーがグラスに注がれ、そしてその上に熱々のミルクを高い位置から注いでアワアワのカフェオレの出来上がりです。全てが昔の記憶そのもので、嬉しくなってしまいました。知らなかったのですが、このスタイルのコーヒーはメキシコシティではなくユカタン半島のベラクルスが発祥なんだそうです。この日は心温まる気分で1日を過ごせました。
最後に
今回は仕事も兼ねた私にしたら初めてのタイプの旅でしたが、現地の人々との交流が多くまた違った意味での貴重な経験ができました。最近治安が悪くなる始めているメキシコですが、少なくとも私達が訪れた2つの街はそんな気配は全く感じられずに活気が溢れたエネルギッシュな街でした。そして期待していなかったせいか、人々の優しさに驚かされました。やはり旅をして一番嬉しいことは現地の人々とコミュニケーションが取れた時や好意を示してもらえる時です。今回の旅ではそんな経験をたくさんすることができ、いい思い出を持って帰途に着くことができました。
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